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旧根岸競馬場一等観覧席

Old Negishi Racetrack Grandstand

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旧根岸競馬場一等観覧席

旧根岸競馬場一等観覧席
■建物名
旧根岸競馬場一等観覧席
Old Negishi Racetrack Grandstand
■設計者
J・H・モーガン (Jay H MORGAN)
■用途
かつては競馬場
■竣工
1930年 (昭和5年)
■構造・規模
SRC造・地上4階
■所在地
神奈川県横浜市中区根岸台
■交通
横浜駅東口・根岸駅から市営バス旭台下車すぐ
■周辺地図
マピオン / マピオンBB

■最終更新日
2005年12月12日
■作成日
2005年11月16日
■参考資料
・「建築MAP横浜・鎌倉」TOTO出版
・横浜市ホームページ コチラ から

■作成者 tomomama_2004

■tomomamaの子育てサイト

あるサイトで見て、ぜひ一度自分の目で見てみたいと思っていた建物です。  電車を乗り継ぎ、横浜駅からは散歩がてら歩いていったのですが、途中道に迷ったり、地図ではわからないとんでもなく急な坂(地蔵坂)をベビーカーを押しながら上ったり、 かなり大変な探訪になってしまいました。

根岸森林公園という、春には桜の名所、広い芝生や池などがあるとても大きな公園の中にあり、 一等観覧席の目の前にあるモーガン広場には遊具も置いてあって、子供連れでのんびり一日を過ごすことができるところです。

一等観覧席は写真を見て想像していたよりも小さな建物だな、というのが最初の印象です。 でも見ているうちにどんどん存在感が増してくるその重厚な姿はいつまで見ていても見飽きないものでした。  是非もう一度、見に行ってみたい物件です。


居留外国人のために造られた、日本初の洋式競馬場。  現在のものは関東大震災後の1930年(昭和5年)に復興されたもので、4,500人収容の一等馬見所のみが残っています。 1942年(昭和17年)秋のレースを最後に閉鎖されました。

みなとみらいを見渡せる高台に立つ旧根岸競馬場は、戦争中はその見晴らしの良さから通信施設等に用いるため旧日本海軍に接収されていました。  戦後は米軍に接収され住宅地やゴルフ場などに使用されていましたが、その後1981年(昭和56年)に接収を解除され、国を経て横浜市の管理下におかれることとなりました。  現在でも建物の正面は米軍施設に隣接し、そちらから見ることは出来ません。

1988年(昭和63年)2等観覧席が解体され、老朽化が進んだ1等観覧席の屋根が撤去されました。  窓は板で覆われ、建物自体も柵で囲われ中に入ることは出来ません。  横浜市は再利用を検討中とのことですが、是非内部を公開してもらえると嬉しいです。

エレベーター塔  屋根の無くなってしまったスタンド
画像拡大-別窓- 左 : 3つの塔はそれぞれがエレベーターになっていました
画像拡大-別窓- 右 : スタンドの屋根が撤去されてしまっていたのが残念
エレベーター塔の丸い窓枠
画像拡大-別窓- エレベーター塔の一番上にある丸い窓の枠には
凝ったデザインが施されています
根岸競馬場観覧席前景 1930年頃
画像拡大-別窓- 根岸競馬場観覧席前景 1930年頃

以下、上記説明文

モーガン広場

 根岸森林公園は第二次世界大戦までは、競馬場として利用されていました。  競馬場には馬所のほかに、一等馬見所・二等馬見所・下見所などの施設がありました。 すべての施設は、アメリカ人建築家J・H・モーガン(1877〜1937)による設計でした。
 J・H・モーガンは多年にわたり、根岸競馬場の施設を設計しています。 設計の過程では設計案の変更を行っており、主な施設である一等馬見所・二等馬見所は、実際に設計された設計案のほかに別の設計案がありました。
 ここでは、図面と写真で、一等馬見所・二等馬見所の設計過程及び建設された後の建物の様子、当時の競馬場の様子を紹介します。
 現存している建物は、一等馬見所で昭和5年(1930年)に建設されたものです。
根岸競馬場一等観覧席設計図 1928年9月
画像拡大-別窓- 根岸競馬場一等観覧席設計図 1928年9月
根岸競馬場一等観覧席設計図及び写真 1929年3月
画像拡大-別窓- 根岸競馬場一等観覧席設計図及び写真 1929年3月
根岸競馬場一等観覧席写真 1930年頃
画像拡大-別窓- 根岸競馬場一等観覧席写真 1930年頃
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